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旧北陸本線トンネル廃線跡

敦賀観光協会(社) TEL 0770-22-8167

今庄町商工観光課 TEL 0778-45-1111

北陸トンネルが開通するまで利用された旧北陸本線廃線跡の隧道

 

 北陸トンネルが完成する昭和38年まで、北陸本線(明治29年に開通)の敦賀から今庄間は、敦賀〜葉原〜杉津〜山中〜大桐を経て、今庄へ通じるルートに線路が敷かれていました。この旧北陸本線には、一番長い山中トンネル(1、170m)をはじめとする、12のトンネルがありました。現在も大小10のトンネルが残っています。旧北陸線トンネル群は、近代化遺産として評価され、土木学会の選奨土木遺産に選定、また国の登録有形文化財に登録されています。

 途中に幾つかある狭くて長いトンネルは、5分待ち、3分待ちの信号を使った交互の通行です。昔この場所を、蒸気機関車が走っていたと思うだけで、何か哀愁を感じてしまいます。

旧北陸本線トンネル跡  国道476号線の情報

交通のご案内

今庄ICからJR今庄駅まで、国道365号線で約4、1q

今庄ICから県道207号線、旧北陸トンネル今庄側の入り口まで国道365号線で約4、8q

敦賀ICから旧北陸トンネル(県道207号線)の敦賀側の入り口、葉原まで、国道476号線で約8、4q

国道365号線の県道207号線入り口から旧北陸トンネルの山中信号機跡まで約7、8q

国道365号線の県道207号線入り口から敦賀市葉原の近代化遺産周遊ルート入り口看板まで約17、8q

山中信号場 退避線跡地

 当時の北陸線であった敦賀〜今庄間(杉津線)は海抜8mの敦賀駅から南条山地の山中峠の下をくぐり、海抜265mの山中信号まで前後14kmにわたって、1000分の25の急勾配で大桐駅まで一気に駆け下りるという現在の鉄道技術では考えられない過酷な線路でした。また列車の停車や通過列車の退避は、急勾配の線路上では不可能で、水平な折り返し線や退避線を使わないと停車や発車は出来ませんでした。このため、敦賀〜今庄間には、敦賀市の新保、葉原ならびに、旧今庄町の山中に列車の折り返し線と退避線を併せもった施設としてスイッチバックが設けられました。現在、生活道路として利用されている北陸線跡(県道207号線)の山中信号場跡地には、そのスイッチバックが設けられていた場所を示す案内看板が設置されています。

大桐駅跡(旧国鉄北陸本線 杉津線)

 明治41年3月1日、北陸線の難所を言われた、山中トンネルを頂点として大桐信号場が開設されました。その後地元の要望に応え、同年6月1日に大桐駅として停車場に昇格し、旅客、貨物の営業を開始しました。当時、旅客7本、貨物6本、合計13往復の列車が運行されました。昭和37年6月9日、北陸本線複線電化の近代化により、北陸本線の新線開業と共には廃止となります。その間、54年の永きに渡り、生活物資の輸送等の役割を果たしました。現在は、207号線の道路脇に残されたホームの跡が、当時の面影を残しています。この大桐駅跡から山中信号場まで、真っ直ぐ勾配を上りながら次第に大きなカーブを描く築堤が続く廃線跡の道路は、当時の列車に乗っているかのような哀愁にとらわれます。

旧北陸トンネル

旧北陸トンネル

旧北陸トンネル

D51蒸気機関車

旧新保駅

旧杉津駅

杉津駅跡(北陸自動車道上り杉津パーキング)

 当時の北陸線の杉津駅の跡地は、現在、北陸自動車道上り線の杉津パーキングになっています。県道207号線は、このパーキングの裏手を通過しますが、この地点より国道8号線へ下っていく道路もあります。現在はパーキングへの人や物資の輸送の為に使われていますが、昔は、杉津駅から杉津海水浴場への通り道としても利用されていました。かなり勾配がある道路ですが、昔は海水浴へ行くのにも凄く体力がいったのだろうと思います。

杉津パーキング

杉津パーキング

杉津パーキング

杉津パーキング

杉津パーキング

杉津パーキング

林道山中〜大谷線 (山中峠)

 県道207号線の山中トンネル今庄側入り口付近に林道山中〜大谷線の入り口があります。この林道は、国道8号線の敦賀市と南越前町の境界、敦賀トンネルの南越前町側出口付近まで続く約4、2qの山中峠越えの林道ですが、木ノ芽峠を通る旧北陸道や板取宿を通る北国街道よりも遥か昔から物資の輸送や人の往来があったとされる道です。現在は全面舗装されていて、自家用車でも通行可能です。

 古くから奈良・京都から北陸・東北に入る北陸道は、この山中峠(標高389m)を越えた。 奈良時代には、近江から野坂山地を越えて松原駅(現敦賀市)に達した北陸官道(律令制時代に、中央と地方国府とを結ぶための幹線道路)は、樫曲(かしまがり)・越坂(おつさか)・ウツロギ峠へと小坂を上り下りし、五幡(いつはた)・杉津を経て大比田、元比田へと進み、山中峠を越えて鹿蒜(かへる)駅に達した。この駅は、旧鹿蒜村大字帰(現南今庄)に比定(比較して推定)されている。 このことは、大伴家持の歌に
可敞流廻(かへるみ)の道行くかむ日は五幡の 坂に袖振れわれをし思はば(万葉集巻18)
によってうかがえよう。「可敞流」は、鹿蒜(かひる)川流域の地のことであり、山中越えを五幡越えといったと考えられている。また山中峠から木ノ芽一帯の山並みを「かへる山」をして、古歌が数多く詠まれている。平安初期の天長7年(830年)、木ノ芽越えの新道が開かれた。この道は国府(現越前市)への直線で近い峠であったので、このコースは北陸道に移ったものの、山中峠越えはその後も引き続き利用された。《万葉の道辺を探る会》

山中峠

山中峠

山中峠

山中トンネル側林道入り口

国道8号線側林道入り口

国道8号線大比田付近

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