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国道476号線 木の芽峠トンネル

今庄町商工観光課 TEL 0778-45-1111

敦賀市商工観光課 TEL 0770-21-1111

敦賀と今庄・武生を結ぶ木の芽峠トンネルの紹介

 

 敦賀市と今庄町を結ぶ「木の芽峠トンネル」が平成16年3月26日、開通しました。トンネルの長さは 約1、8kmで、とても快適な道路です。従来、今庄から敦賀に出るためには、旧北陸線の廃線跡を利用した県道207号線を通るしかありませんでしたが、このトンネルの開通により国道8号線の渋滞もいずれ緩和されていくでしょう。。木ノ芽峠で一旦切れていた、国道476号線(敦賀市曙町から大野市神明町まで)も一応つながった事になります。

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歴史の道 木ノ芽古道

 木ノ芽越えは、平安時代初めの天長9年(830)に開かれ、その後、明治初期まで千年以上にわたり、敦賀と福井方面とを結ぶ幹線として使われた歴史的古道です。標高630mの木ノ芽峠は、地理的に福井県を南北に(嶺北・嶺南)分ける境になっています。平安時代、紫式部が父、藤原為時の越前国司下向に随って越えたのはこの道と考えられます。鎌倉時代以降、永平寺開山の道元禅師や、親鸞、蓮如などの僧侶が往来しました。南北朝時代には、新田義貞率いる将兵が雪中の木ノ芽越えで凍死したと伝え、戦国時代には、朝倉氏や一向一揆勢と織田・豊臣軍との戦いの舞台となりました。江戸時代には、「おくの細道」の旅で、芭蕉がここを通って敦賀に入り、幕末には水戸浪士一行が雪の木ノ芽峠を越え新保に着陣しました。
明治20年(1887)、敦賀・武生間の車道開通、同29年、敦賀・福井間の鉄道開通により、木ノ芽峠越えはその役割を終えました。現在では、新保の登り口から木ノ芽峠までの1、6q、同じく新保の集落(新保バス停)まで800mの間を、歴史の道として敦賀市が保存しています。(敦賀市)

木ノ芽峠

木ノ芽峠

木ノ芽峠

木ノ芽峠

木ノ芽峠

木ノ芽峠

 今庄宿から南今庄の二ツ屋関所(南越前町二ツ屋)を経て木ノ芽峠の峠道を敦賀まで進む旧北陸道は、標高約630メートルの山越えの道となります。今庄駅付近の宿場町から北陸街道と北国街道の追分である分政の道しるべ〜鹿蒜(かひる)神社(この地で殺害された朝倉義景の遺族の位牌を安置)〜旧二ツ屋宿跡〜二ツ屋関所跡〜言奈地蔵〜木の芽峠城塞群跡(朝倉・織田・一向一揆の城址)〜木ノ芽峠(福井藩の茶屋番を勤めた前川家)〜敦賀市新保へ続く旧北陸街道跡の山歩きの道です。
※全コースを歩きたい方は、JR南今庄駅で下車、二ツ屋集落まで一般道を歩き、二ツ屋集落の奥から山道を上っていきます。途中二ツ屋関所跡〜首切り坂〜今庄365スキー場リフト乗り場〜言奈地蔵〜木ノ芽峠を越え、国道476号線の敦賀市新保に下りていきます。新保からは路線バス(本数は少ないです)で敦賀駅まで行けます。
※今庄側、敦賀市新保側の登り口、または下山口にはいづれも駐車場がありません。
※直接木ノ芽峠を見たい方は、今庄365スキー場のゲレンデから木ノ芽峠近くの言奈地蔵の休憩用駐車場まで車で進み、そこから徒歩で歩くことが出来ます。

旧北陸道

旧北陸道

旧北陸道

旧北陸道 二ツ屋集落

旧北陸道 二ツ屋関所跡

旧北陸道 首切り坂

旧北陸トンネル (県道207号線)

 北陸トンネルが完成する昭和38年まで、北陸本線(明治29年に開通)の敦賀から今庄間は、敦賀〜葉原〜杉津〜山中〜大桐を経て、今庄へ通じるルートに線路が敷かれていました。トンネルの完成後、そのルートは廃線になり、当時、列車が通過したトンネル(葉原トンネルや山中トンネルなど)も含め、その廃線跡全線は、現在県道207号線として利用されています。途中に幾つかある狭くて長いトンネルは、5分待ち、3分待ちの信号を使った交互の通行です。昔この場所を、蒸気機関車が走っていたと思うだけで、何か哀愁を感じてしまいます。

旧北陸トンネル

旧北陸トンネル

旧北陸トンネル

旧北陸線トンネル群

旧北陸線トンネル群

旧北陸線トンネル群

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