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敦賀市散策 旅館・民宿・観光ガイド

敦賀観光案内所    TEL 0770-21-8686

敦賀観光協会(社) TEL 0770-22-8167

素足で歩きたい、越前若狭の港町、敦賀の旅館、民宿ガイド。

 

 陸海ともに古くから交通の要所であった敦賀市。現在も敦賀港には多くの船舶が行き来し、港町ならではのロマンチックな風情が楽しめます。市内の見どころとしては、金ヶ崎緑地公園を中心に、赤レンガ倉庫、敦賀ムゼウム、敦賀鉄道資料館、金崎宮などがあります。また敦賀半島の山々の緑と真っ青な海が見事なコントラストを描く敦賀湾には、渡し船で行く海水浴場、水島をはじめ、気比の松原海水浴場、手の浦海水浴場など、人気の海水浴場がたくさんあります。年間を通じて美味しいお魚料理が味わえ、冬は敦賀ふぐやかに料理も楽しめます。

金ヶ崎緑地と赤レンガ倉庫

水島海水浴場の様子

敦賀の筏釣りで黒鯛、真鯛、カワハギ、アジ、アオリイカ ⇒ 釣筏やまもと

水島行き浦底乗船場近く、さざえヶ岳登山のお宿 ⇒ 浦底観光協会

味一旅館 (敦賀半島 浦底)

敦賀の新鮮な魚介と朝焼けに浮かぶ水島の眺め。水島行き浦底乗船場は、宿の目の前です。さざえヶ岳登山のお客様にも人気の宿です。

敦賀ふぐの宿なかい (敦賀半島 色浜)

敦賀の新鮮な魚介と朝焼けに浮かぶ水島の眺め。当館目の前より水島行きの渡し船が出ます。冬は敦賀ふぐが堪能出来ます。

交通のご案内

北陸自動車道福井ICから敦賀ICまで、北陸自動車道で約51q

JR福井駅からJR敦賀駅まで、国道8号線〜塚原〜桜橋交差点〜大比田を経由して約56q

JR福井駅からJR敦賀駅まで、国道8号線〜国道365号線〜国道476号線を経由して約60q

JR福井駅からJR敦賀駅まで、越前町梅浦を経由して国道305号線としおかぜラインで約72q

北陸自動車道敦賀ICからJR敦賀駅まで約2、5q

JR敦賀駅から赤レンガ倉庫まで約2、1q、金ヶ崎緑地まで約2、2q

JR敦賀駅から気比神宮まで約1q、敦賀市立博物館まで約1、7q、気比の松原まで約3q

R敦賀駅から手の浦まで約11、7q、色浜まで約13、7q、浦底まで約15q

JR敦賀駅から立石まで約20、4q、白木まで約25、6q

JR敦賀駅から敦賀フェリーターミナルまで金ヶ崎緑地経由で約5、5q

敦賀ICから敦賀フェリーターミナルまで国道8号線〜敦賀新港口を経由で約5、2q

敦賀ICから金ヶ崎緑地、赤レンガ倉庫まで約3、5q

敦賀ICから気比の松原まで気比神宮経由で約4、5q、国道27号線若葉交差点経由で約6、8q

敦賀ICから手の浦まで約13、3q、色浜まで約15、2q、浦底まで約16、4q

敦賀ICから美浜町の水晶浜まで気比の松原、縄間T字路、黒背峠トンネルを経由して約13、8q

敦賀ICから美浜町の水晶浜まで国道27号線の若葉交差点〜佐田を経由して約17、5q

新幹線敦賀駅

新幹線敦賀駅は「空にうかぶ〜自然に囲まれ、港を望む駅」をコンセプトに設計され、駅舎の高さは12階建てビルに相当する37mで、国内の整備新幹線で一番高い場所にある駅として脚光を浴びています。3階が新幹線ホーム、2階は改札口とJR線及びハピライン福井への乗換えコンコース、1階は京都・大阪方面に接続する特急サンダーバード、米原・名古屋方面と接続する特急しらさぎの専用発着ホームになっています。敦賀駅西口(まちなみ口)を出ると飲食、物販、図書館が入るotta、芝生広場、ビジネスホテル、立体駐車場などがあります。西口正面の駅前通りには気比神宮や敦賀市立博物館などに続く商店街があり、敦賀の町並みが楽しめます。気比神宮の先には敦賀湾の港風景を楽しめる金ヶ崎緑地公園があり、敦賀港の歴史を象徴する敦賀赤レンガ倉庫や鉄道の歴史遺産でもある旧敦賀駅駅舎などがあります。敦賀赤レンガ倉庫内には明治後期〜昭和初期の敦賀の街並みを80分の1サイズで再現した巨大ジオラマがあり、映像とともに動くジオラマを見学出来ます。気比神宮、金ヶ崎公園、敦賀市立博物館へは、敦賀駅西口バス乗り場から発着する敦賀ぐるっと周遊バスが便利です。新幹線駅舎側の敦賀駅東口(やまなみ口)にはお店等はありませんが、北陸自動車道の敦賀インターから約1、5qの位置に有り高速道路からの敦賀駅の玄関口の役割を果たしています。

水島 水島海水浴場の様子

敦賀半島の先端に浮かぶ小さな島。海水の透明度が高く、上陸してるだけでも幸せな気分。夏の海水浴シーズンは色浜と浦底から水島行きの渡し船が運航していて、多くの海水浴客で賑わいます。

金ヶ崎緑地 冬のイルミネーション ミライエ の様子

港の雰囲気が楽しめる芝生の公園です。ボードウォークで潮風に当たりながらロマンチックな敦賀の気分を味わって下さい。周辺には旧敦賀港駅舎や赤レンガ倉庫、1920年にシベリアで救出されたポーランド孤児、1940年にはナチスドイツの手から逃れたユダヤ人難民が、リトアニア・カウナスの領事代理、杉原千畝が発給した“命のビザ”によって、敦賀港に上陸した当時の資料を展示している「人道の港 敦賀ムゼウム」などがあります。

人道の港 敦賀ムゼウム

金ヶ崎緑地公園の北側に建つヨーロッパ風建物群は、令和2年11月3日にリニューアルオープンした「人道の港敦賀ムゼウム」の建物です。敦賀港は、明治から昭和初期にかけて、ヨーロッパとの交通の拠点としての役割を担い、1920年代にポーランド孤児、1940年代に「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港です。館内では、数々の苦難を乗り越えて敦賀に降り立ったポーランド孤児とユダヤ難民の史実を中心に、当時の敦賀市民の証言やエピソードのほか、今も続く関係者との心温まる交流を紹介し、命の大切さと平和の尊さを発信しています。※「ムゼウム」はポーランド語で「資料館」を意味します。
★敦賀ムゼウム入館料 大人1人500円 小学生以下1人300円
★入館時間 9:00〜17:00 ※最終入館は16:30
★休館日 毎週水曜日(祝日の場合その翌日)年末年始

金ヶ崎城跡

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀のゆかりの古戦場、金ヶ崎城跡は、織田信長の有名な撤退戦、金ヶ崎の退き口の舞台となった場所です。金ヶ崎の戦いは戦国時代の1570年(元亀元年)に起きた、織田信長と朝倉義景との戦闘のひとつで、織田信長が越前(福井県)の朝倉義景を攻撃したところ、同盟関係にあった妹婿の小谷城(滋賀県)の浅井家の裏切りにあい、挟撃の危機に瀕しました。そのため木下藤吉郎(豊臣秀吉)と、信長の同盟軍の徳川家康が後衛となって、近江朽木越えで京に帰還するのを援護しました。この時代の金ヶ崎城の遺構はなにも残っていませんが、金崎宮の本殿から左手に伸びる「花換の小道」と呼ばれる小道を上がっていくと南北朝時代、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場の跡があります。頂上の月見御殿からは、敦賀新港を見渡せます。石碑などを見ることが出来ます。

金ヶ崎の退き口〜姉川の戦い〜賤ヶ岳の戦い

信長は、古くから浅井氏と同盟関係にあった越前の朝倉氏を攻めるためにも、浅井を味方につけておく必要があった。信長の娘、お市の方は、20歳のころ、信長の命により近江小谷城主浅井長政のもとに嫁ぐ。信長は、浅井長政が動かないと見越して朝倉攻めを敢行。しかし朝倉氏と長年の同盟の義を重んじた長政が出陣。越前に攻め入った織田軍の後方を抑え、挟み撃ちにするかたちとなった。それを知ったお市の方は、両端を結んだ小豆袋を信長に送りつけたとされている。「兄信長が袋の鼠になっている」という暗号だった。信長は、すぐさま全軍撤退させ、命がけで逃げ帰る。
 その後、怒った信長は、姉川の戦いののち、小谷城を攻囲し、浅井長政を自害に追い込む。お市の方は、兄信長を助けたことで、夫長政を死に追いやることになった。長政とお市の方とのあいだには二男三女の子がいた。信長は、お市の方、茶々、初、江の3人の娘は助けさせ、引き取る。本能寺の変のあと、明智光秀討伐を陣頭指揮した羽柴秀吉が、織田家相続問題を決める清洲会議のころから台頭してきた。この秀吉を嫌っていたお市の方は、織田家筆頭家老の柴田勝家のもとに再嫁する。陰で動いたのは、信長の三男信孝。
信長の妹を勝家に嫁がせることで、味方する武将を増やしたかったのだ。お市の方も、「秀吉に天下をとらせないためなら」とうなずいた。
 勝家が拠る越前北庄城は雪深く、冬のあいだ出陣できない。その隙をついて秀吉は、いちどは勝家に譲った長浜城を奪い、戦の準備を固めた。そして春になって勝家が出陣してきたところを、賤ヶ岳の戦いで撃破する。敗れた勝家は、北庄城に逃げ帰るが、羽柴軍に攻囲され、自害を覚悟する。勝家はお市の方に「3人の娘と逃げろ」と言うが、お市の方は納得しない。攻める側の秀吉も、お市の方に城から出るように説得したが出るはずがない。信長の妹としてのプライドが許せなかったのだ。なにより秀吉を嫌っていた。お市の方は、3人の娘を逃がしたうえで勝家とともに自害して果てる。お市の方、37歳くらいだった。

金崎宮の花換まつり

花換まつりは、金崎宮へ桜見物に訪れた男女が「花換えましょう」と声をかけあい、桜の小枝を交換することで思いを伝えたといわれる、ロマンチックなお祭りです。「花換え」をしたカップルは将来幸せに恵まれるといわれています。

天筒山(てづつ山)と天筒展望広場

天筒山の山頂展望台からは西側に敦賀市街地、敦賀湾、敦賀半島、気比の松原、敦賀市の最高峰である野坂岳(標高913m)、東側には平成24年7月3日にラムサール条約に登録された中池見湿地(約25ha)や、北陸自動車道の敦賀トンネルなどをパノラマ感覚で眺めることができます。展望広場へは天筒入口から向かうコース(頂上までコンクリートで舗装されてる歩道)、中池見湿地内の古民家の建物横から向かうコース(傾斜も緩やかで歩きやすい自然歩道)、金崎宮社務所横から上がるコース(急な階段が続くきついコース)、金ヶ崎宮の奥にある月見御殿を経由して向かうコース(山の尾根を歩くコースでアップダウンがきつく疲れるコース)があります。天筒入口からのコースは、市民のハイキングコースとして一般的なコースですが、中池見湿地からのコースも、緑に覆われた自然歩道で、途中、休憩場やトイレもあり、歩きやすく整備されています。中池見湿地からのコース途中には、戦国時代に金ヶ崎城の枝城であった天筒山城(てづつやまじょう)の跡地であったことを示す説明プレートや、弥生時代の見張り台をもった村、奈良時代のお堂、平安時代末期の経塚などの遺跡が見つかった舞崎遺跡の説明プレートなどが設置されていて、この山が長い歴史と共にあったことを思い出させてくれます。

中池見湿地

2012年にラムサール条約湿地に登録された中池見湿地は、市街地のほど近く、周りを山に囲まれた25ヘクタールほどの小さな湿地です。たくさんの生き物の気配であふれ、田んぼをのぞくとタニシやメダカが、畦道や草原の中を流れる水路の小道を歩くとバッタやカエルが跳び出てきます。季節ごとに変化する美しさと豊かな自然が楽しめます。敷地内にある古民家の隣には天筒山(てづつやま)展望広場への登山口があり、約20分で展望広場まで行けます。

敦賀市立博物館

重要文化財である敦賀市立博物館の建物は、昭和2年に二代目大和田荘七によって建てられた大和田銀行本店を活用したものです。重厚な造りの建物内は、1Fは大和田銀行時代のレトロな窓口カウンターとカウンター内に敦賀港の歴史資料を展示、2Fには古代から近世の敦賀の歴史を紹介する展示室と復元された貴賓室、3階には建物内で実際に設置されていた北陸では珍しかったエレベーターや講堂ステージ跡、地下には当時のレストランや水洗トイレなどが残されていて昭和初期の面影を感じることが出来ます。博物館前の細い路地は、江戸時代、敦賀三十六町と呼ばれた敦賀湊の町の中心部を通っていた通りで、現在は博物館通りと名付けられ、道路の石畳化や電線の地中化などにより、街中の新たな観光ルートとして整備を目指しています。
★〒914-0062 福井県敦賀市相生町7番8号 TEL 0770-25-7033
★入館料 一般300円 高校生以下無料
★休館日 毎週月曜日(祝日の場合その翌日)年末年始

気比神宮 敦賀祭り 山車巡行の様子

敦賀市街地のほぼ中心にある気比神宮は、越前一の宮、北陸道の総鎮守とも称される古社です。気比神宮の象徴でもある真っ赤な大鳥居は、木造としては、「広島・厳島神社」「奈良・春日大社」と並ぶ「日本三大木造大鳥居」のひとつで、国の重要文化財に指定されています。氣比神宮の例祭(れいさい)は、9月2日宵宮祭、3日神幸祭、4日例大祭、5日から10日まで後祭、15日の月次祭をもって終わる気比の長祭と称され、俗に「けえさんまつり」とも呼ばれています。この期間中の9月1日から4日まで開催される敦賀まつりは、気比神宮周辺の商店街に多くの屋台や商店が並び、気比神宮内の敷地にも屋台やお化け屋敷などの見世物が設置され、県内はもとより県外からも多くの人々が訪れます。2日の宵山祭は例祭の前夜祭にあたり、宵山という山車の上で、子供達が踊りを奉納し、笛や太鼓などの賑やかなお囃子と共に市内を巡行します。3日の御鳳輦(ごほうれん)は、氣比神宮の御神体である仲哀天皇を祀ったお神輿で、菊花の紋章入りの錦旗を先頭に、烏帽子(えぼし)、護衛の直垂の衛士(ひたたれのえじ)、甲冑をまとった武士の犬神人(つるめそ)、神馬に乗った神官の神職(しんしょく)、稚児、楽人を従えて、雅楽が奏でられるなか、氏子達と共に古式ゆかしく市内を巡行します。4日の例大祭では、戦国時代の合戦における武将の勇姿を表現した6基の山車が市内を巡行し、最後は気比神宮の大鳥居の前に総揃いし、祭りのクライマックスを迎えます。

気比の松原 敦賀花火ととうろう流しの様子

水の澄んだ敦賀湾に白砂青松が美しく映える敦賀のシンボルである気比の松原は、三保の松原・虹の松原とともに日本三大松原の一つで、夏は海水浴のお客さんたちで賑わいます。

手の浦海水浴場

気比の松原と敦賀半島先端の立石岬のちょうど中間に位置する白砂とエメラルドグリーンの海が美しい海水浴場。沖合いには敦賀ふぐの養殖筏が並び、イカダ釣りやカセ釣りの釣り人にも人気があるエリアです。

旧北陸トンネル廃線跡

北陸トンネルが完成する昭和38年まで、北陸本線(明治29年に開通)の敦賀から今庄間は、敦賀〜葉原〜杉津〜山中〜大桐を経て、今庄へ通じるルートに線路が敷かれていました。トンネルの完成後、そのルートは廃線になり、当時、列車が通過したトンネル(葉原トンネルや山中トンネルなど)も含め、現在、県道207号線として利用されています。

池河内湿原

周囲を低山群に囲まれた、南北約500m、東西約150m、面積約4haの範囲に広がる湿原です。周辺からの湧水や周囲から流れ込む水によって潤されています湿原内には木道が施設されていて、動植物の保護管理、観察が出来るようになっています。

衣掛山

衣掛山と書いて「きぬかけやま」と読みます。国道27号線の岡山1丁目西交差点から約1、1qの位置にある敦賀工業高校から住宅地に入ると堂第一公園があり、その公園隣にある堂ふれあい会館に約3台分の駐車スペースがあります。そこへ車を停めて徒歩約5分、JR小浜線のガード下をくぐると衣掛山の登山口があります。登山道は地元の人たちによって綺麗に整備されていて安心して山に登れます。標高181mの低山ですが途中、舞鶴若狭自動車道の敦賀衣掛大橋の真下をくぐる地点では、新しく整備された北陸新幹線の敦賀駅の全景や敦賀湾を眺めることが出来ます。また衣掛山と言う名前は、源義経にまつわる伝説に由来してるそうです。鎌倉時代、源頼朝に追われた義経・弁慶一行は京から奥州へ落ちのびる道中、道口の関所を迂回。抜け道とした衣掛山で休息し、待つの枝に着物を掛けたと伝えられています。

黒河川

黒河川と書いて「くろこがわ」と読みます。上流には川遊びやキャンプが出来る静かなせせらぎがあり、夏には地元の家族連れなどが自然を身近に楽しめる場所として利用しています。

疋田舟川

江戸時代後期に、日本海を経由して運ばれた莫大な物資を敦賀港から京都へ送るために設けられた運河の面影が残る町、疋田は鉄道ファンにも人気があるエリアです。

新疋田駅

全国の鉄道ファンが注目を集める新疋田駅。敦賀市の中心部から約5km、国道161号線沿いにあるJR新疋田駅は、美しい山々に囲まれ、緩やかなカーブを描いた長いホームが印象的な美しい駅です。周辺には鳩原ループ線をはじめ、新疋田駅〜敦賀駅間にはいくつかの鉄道写真撮影の名所があり、カメラを構えるファンの姿もよく見られます。駅舎内には、鉄道ファンによって撮影されたと思われる多数の写真や思い出ノートなどが設置されていて、鉄度マニアならずとも旅情気分を味わえます。

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